当時の斉藤はかなりの廃メン揃ってて一緒にやってるのが嬉しくなるほど良かった。
それに勝負を挑んで来た大国武田。
人材豊富で人数もかなりいるだけに、大合戦が予想されていた。
かなり興味あったので、自キャラ全部斉藤に持って来て合戦やりまくろうと決めていた。
斉藤に戻ったら(斉藤仕官2回目、前回のブログより)
懐かしい人達もいたりすぐなじめました。
合戦当初は岡田豊さんに結構誘われる機会が多くそれで武将やっていた。
深夜になると解散が多く、一人になったらソロで対人をコツコツ。
そうしたら、神宮寺時貞こと「勇者徒党」に誘われる事が増えた。
何度かそういった事が増えて本格的に固定に入らないかと誘いを受けた。
その誘いを受けた数時間後、違う主力徒党の方からも固定への誘いをいただいた(’’
んで、少し早めに誘いをしてくれた神宮寺時貞(以後、時さん)の勇者徒党でひたすら武将やってたな。
一番驚いたのが、戦法かな。
忍者のテクは自分の中では自信あったけど、まだまだ甘かったと痛感。
基本構成は
忍法:俺
忍法:伊賀乃影虎
武士道:神宮寺時貞
神通力:高波夏樹
神通力:小梅
鎧鍛冶:半々で明智さんか俺
雅楽:山根涼夏
当時は、弓武士道だったり忍者は不意で神から落としたりの時代。
戦法がかなりすごく完成されていたので、武将はほぼ負ける事がなかった。
見方中後を落とされると信康(僧侶)が沸くんだけど、これが非常にやばい敵で
当初は斉藤で落とせる徒党は勇者徒党だけだった気がする。
合戦当初は武田に押される事が多く、道三も結構落ちていた。
当時の斉藤は非常に負けず嫌いが多かったせいもあって、
日に日に対抗できるようになって五分五分又はそれ以上にやれる所までもっていく事ができるようになってきた。
が、木曽川の陣は見方右先が落ちれば小荷駄ルートですぐ本陣これる布陣。
優勢にもって行く事で来ても、そのルートで道三が落ちて負けてしまう陣がチラチラ増えて来た。
それでも、ひたすらやっていったらかなり武田を押す時期が増え、
こちらも武田信玄を攻略できる徒党がチラチラと。
そんな事を日々やっていたら、織田家が復興戦起こしが増え
武田>復興>休憩>武田・・・
と3週に2週が合戦になり、斉藤の人達にも疲労が日に日に目立ち
武田にも押される様になり、織田にも気を抜くと復興されるのが増え、
精神的にもしんどかった。
結局斉藤家を、時さん、俺、高波さん、小梅さんで出奔したんだけど
なんで出奔したんだっけな・・・
あんま覚えてないや(´・ω・`)
でも、連戦で疲れているとは各々思ってたとは思うけど、そんな理由ではなかったはず。
斉藤で何をやり遂げたかな・・・
俺の鍛冶の猫鍛冶で掲示板に9陣+本陣4つを名前載せた事や、
武田信玄をハメ技なしに倒した事や、
武田軍師7を落としまくってた事や・・・
勝率も結構よかったし、結構いろいろやってたと思う(’’
斉藤を固定で出てからは、俺の押していた徳川に仕官するつもりでいたんだけど、
仕官当日、俺が徳川家に対してお尋ね日数が多くて仕官さしてもらえず断念。
どこの国仕官するかって事で結構援軍で各地まわった。
武田の援軍にも固定で行ったけど、とある知人から
「なんで時貞がいるんだ?」
と武田の人から苦情ぽい事を言われたので武田は断念。
結局、復興戦で負けてたものの雰囲気が良く援軍行っても歓迎してくれてた織田家に仕官する事に。
丁度この頃、飛竜実装?でだったか、敵のアルゴリズムが非常に変わった時期で
中武将ですら主力が負けまくる合戦だった。
結局、斉藤家がその変化について行けてない雰囲気と武田との連戦で疲れていたのか日に日に人が激減していった。
織田家は、結構な人が集まってたのと武将が落とすのが辛いってのもあってN狩りをする徒党が増えて戦果を有利にもって行く事ができた。
復興を決めた週の合戦では開幕でも斉藤PC一桁ってのが多く、
開幕からN狩り徒党だけで勝利する陣ばっかだった気がする。
合戦最終日付近になると斉藤PC0ってのもあったな(’’
こればかりはかなり驚いたよ。
武田の時とか負けず嫌い国家として俺の中で好きな国だったから。
織田家が復興してからも織田家が優位にもって行く事ができてた。
斉藤もかなり押して来たんだけど、なんせ武将が激しく強かったから
織田家も斉藤家も中奪還すら限られた徒党でしか勝てない始末。
斉藤家もうちの勇者徒党も中奪還までは勝率悪いものの勝ててはいたけど
後奪還は勝てなかった。
唯一、後詰め奪還で勝てたのが織田家の青徒党。
回復3方式で後奪還できていたため、織田家が勝つ事ができてたと言っても過言じゃなかった合戦だった。
*ちなみに上で述べたアルゴの変更ってのは、陽動や一所や後光や結界を敵が多様してきた時期であり、沈黙に対する耐性が強くなった時である。
勇者徒党は激しく負けず嫌いの徒党でもあり、戦法を考えるのが好きな徒党でもあって、
毎戦、反省会と新たな戦法を話し合ってたな(’’
弓沈黙侍が定番だったけど、みね侍のが良いと提案したのも俺だったはずw
他国では知らないけど、斉藤と織田では最初に取り入れた戦法。
そんなこんなで、かなり勝率も上がって問題なく倒せるようになっていった。
たぶんだけど飛竜後の後詰め7を最初に倒したのも、勇者徒党の気がする。
当時上杉も強くて知人に確認したけど、7はないと言ってたから。
優位に合戦を押していたけど、復興した機会に引退した人がかなり多く
だんだん押される様になっていった。
そしてこの頃、勇者徒党の党首の時さんがリアル事情により引退をされました。
今回の内容は、「俺がやった」と言うよりは「時さんがやった」って内容ばかり。
噂通り彼の存在はでかく、ゲームがうまい人間だった。
(時さんについても人物紹介で書くつもりです)
とりあえず今日はここまで(’’
次回は、時さんの固定を引き継いで党首になった俺の徒党の内容かな。
なんか、日頃の事を書くのと違い昔話の内容のせいか
言葉の語尾とかいろいろ読みにくいようになってしまってるな(’’
かなりこれでも頑張ってるんですよ!
許してね(´・ω・`)
出奔したのは飛龍前に各国見ておきたいとかだったはず
織田の復興戦に来て、戻りにくい雰囲気になっちゃったぽいけどね
…足利で猫さんに出会うまで、猫さんの事を全く知らんかったのはナイショw
まぁ元気そうで何よりです^−^
次の昔話も期待してますね^^
ブログ読ませていただきましたが、勇者徒党時代とかムチャクチャ懐かしいですね〜。
>中後奪還のアレ
信康は、一番安定して倒せるのが勇者徒党って感じだったかな。緋色さんのところとか陣さんのところも挑んでたはず。あそこは倒すのもアレでしたが、まず奪還のためにとりつくのがすごく大変だった覚えがあります。当時の斎藤は、追尾じゃなくて一人一人手動でツッコむのが主流だったので、とにかく時さんにくっついていくのが大変でした…あの方すごいルート選択するから…w
>出奔の理由
上でセトさんも言ってますが、確か飛竜の1ヶ月だか2ヶ月前で、知行やら屋敷やらが実装されたらもう出奔するのは無理になるから、その前に他の国の合戦見に行ってみようぜ!んで飛竜と同時に戻ってこよう!ってなノリだったと記憶してます。
で、その後いろいろあって現在足利家にお世話になっているわけですが、そこに人生の不思議をちょっと垣間見てみたり。
>猫さんの徳川おたずね日数
今年8月の時点で、まだ残ってたよね確か…wすごい日数でしたね。
中盤から終盤は落としてるのは記憶あります。
当時は珍しい武士道盾1で落としてたり。
だけど、序盤はほとんど落としてない記憶が
まぁ他の人らはやれてない!って言う為に書いたのじゃないので深く追求するような内容ではないですが。
豆さんへ
俺なんてほとんど無名ですから知らないのも無理ないよ(’’
固定のメンツの一人としてやってたくらいだから。
もっと書きたい&書ける内容あるのですが、いかんせん長くなるので選ばないと・・・
3年は長いな・・・w
高波さんへ
そんな理由だっけ?
他国を見たいっていう表現は確かにあったかもしれないけど。
それに斉藤戻るような雰囲気あったかな・・・w
一度でたら戻れないような気がする
(これは今の心情で昔は覚えてないや)
普通に思い出せない(’’;
勇者徒党が斎藤出奔した理由を
出て行った直後の勇者と話してたけど
色々な引き金があったみたいだったね〜
参戦率の問題とかとある人への不満やら…
二人ほど名指しで…
その後自分も斎藤>織田へ仕官したんですけどね(’’
なにはともあれ、お疲れ様でした〜
まぁ彼は敵が多かったからねえ(’’;
そこらへんは今更触れないでおこうかな。
お疲れさま!